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吉本隆明さん逝く

午前6時前、「一平ちゃん、吉本さんが・・・」という声とともに家人が書斎に飛び込んできた。NHKテレビの速報で吉本隆明さんがなくなったと報じたらしい。もう20年近く前に、吉本さんの訃報予定原稿を書いたけれど、それがそのまま使われたわけではないだろう。私の貸した『試行』や私家版『固有時との対話』は放映されたのだろうか。

このブログでも、何度か料理の話とか老いについて紹介したことがある。弓立社の最初の作品が『敗北の構造』で、それでM下社長と仲良くなった経緯がある。初めて吉本さんの名前を知ったのは、高校2年生のときだったと思う。『文芸』という河出書房から出ていた雑誌に、「共同幻想論」を執筆していた。一番上の姉か二番目の姉が夏休みや春休みに帰えるたびに読んでいた。

姉2人は、どちらもセクトは違ったが(吉本さんは叛旗の支援者)、吉本さんの本は好きだった。プータローだった私は「叛旗」の集会に顔を出していたし、三多摩地区反帝戦線の集会にも参加していたから、吉本さんの講演は何度か聞いた。「南島論」を講演したときの中野公会堂には聴衆が溢れ、壇上にセクトの人間が上がっても、入りきれないほど盛況だったことを良く覚えている。SZヤンと暮らしていた頃、寺田倉庫で開かれた「吉本隆明25時」を2人で聴きに行ったけれど、午前3時くらいに眠くなって、引き揚げてしまった。あの集会には、都はるみさんや中上健次さんも来ていた(ような記憶がある)。

最期にお会いしたのは、4年前の忘年会だった。あのとき糖尿病の話をしながら一緒に飲んだ。その時の写真が何枚か残っている。いま『思想としての死の準備』『死のエピグラム』『新死の位層学』『父の像』『老いの現在進行形』『老いの流儀』『家族のゆくえ』『老いの超え方』が書棚に並んでいる。他の本は全て研究室だが、これらはじっくりこれかの日々噛みしめていこうと身近に置いてあるものだ。私が書いた「棄てられない書物たち」が収録された吉本さんの『わが月島』を取り出して読み返している。

今夜、落ち着いたら3年前に放送されたNHK・ETV「吉本隆明語る」を見て追悼する。制作者一覧のテロップに「資料提供」として私の名前がある。企画を持ち込んだのが私で、それに対応して弓立社のM下さんがI井重里さんを紹介してくれて、N協会のディレクターで廣松渉ゼミ出身のY口君が制作した。あれで少し『言語にとって美とはなにか』が分かったような気がした。(3月16日am8:10)

コメント

  1. ひびけん より:

    ついに、この日が来たね・・。

    卓抜な追悼の名手、吉本さんが、「死ねば死にっきり。自然は水際立っている」というような一節を記してたような、気がする・・。
    高校生の時に読んだ、確か。

    一平ちゃんは、何らかの「会」に行くのかな?

    4月になったら、ほうろくやあたりで、密やかに偲ばないかい?

  2. 百瀬好道 より:

    小俣さん、突然すみません。
    ブログを読んで、吉本先生の好きな詩を送りたくなりました。
    まさに少年期から青年期に力づけられた詩です。
    どうかお許しください。

    少年期

    くろい地下道へはいつてゆくように
    少年の日の挿話へはいつてゆくと
    語りかけるのは
    見しらぬ駄菓子屋の
    おかみであり
    三銭の屑せんべいに
    固着した
    記憶である

    幼友達は盗みをはたらき
    橋のたもとでもの思ひにふけり
    びいどろの石あてに賭けた
    明日の約束をわすれた
    世界は異常な掟てがあり 私刑(リンチ)があり
    仲間外れにされたものは風に吹きさらされた
    かれらはやがて
    団結し 首長をえらび 利権をまもり
    近親をいつくしむ
    仲間外れにされたものは
    そむき 愛と憎しみをおぼえ
    魂の惨劇にたえる
    みえない関係が
    みえはじめたとき
    かれらは深く訣別している

    不服従こそは少年の日の記憶を解放する
    と語りかけるとき
    ぼくは掟てにしたがつて追放されるのである

  3. 二木啓孝 より:

    それぞれの吉本隆明……。
    自分はどの時代に吉本の何を読んだのだろう。訃報にそのことを思い出した。上京してきて「リューメイの政治思想はさぁ」という先輩に「そうですよねぇ」と相槌を打ちながら、急いで買って読んだ「擬制の終焉」。それから「共同幻想論」「言語にとって美とは何か」「試行」の連作、と読み進み、いや意味などほとんど分からないまま、本棚の背表紙を眺めてオトナになっていったような気分。一知半解の吉本イズムを自分の思考に注入しようと苦闘していた。当時の私は、吉本さんと近かった新左翼セクト「叛旗派」の系列にいて、のちに分派した「情況派」に。あわてて吉本批判を考えたものの、もとより根っこの理解ができてないから、批判など話にならない。引越しの連続で吉本本の大半はどこかに消えてしまったけど、数年前に「NHK ETV 吉本隆明を語る」を見て、そういうことだったのか、とひとりごちたり。
    昨夜は若い同僚と月島で痛飲。ひと回り以上歳が違う同行者は、ここで吉本少年が育ったことなど知る由もなく。佃界隈の高層マンションの陰で踏ん張る木造二階建ての家の立ち並ぶ裏路地をふらふら歩きながら、ヒョイと吉本さんが顔を出したような気がして……。
    それぞれの吉本隆明……。合掌。

  4. 伊藤純夫 より:

    「死ねば死にっきり。自然は水際立っている」は、高村光太郎の引用と書かれていましたね。

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