義母も初盆だったが、吉永祐介さんは旧盆ということで、13日昼過ぎからお参りに出かけた。「大徳院法祐正道居士」と書かれた位牌の奥に、検事総長室で撮影された、にこやかな写真が飾られていた。「この笑顔ですよね」と思わず奥さんに語りかける。

特捜検事というのは、自ら名乗りたがる人も少なくないが「鬼」と呼ばれることを好む風潮がある。吉永さんの場合、多くの人が、この温厚な地の顔を知らない。私も初めて会った頃は、「鬼の顔だな」と思ったものだが、親しくなる、特に宇都宮時代に1年間通った頃から「鬼」の顔が、柔和になっていった。あの頃は、毎日が手持ち無沙汰の様子で、N協会の水彩画講座を受講していて、夜はもっぱら絵を描いていた。お世辞でなく、抜群にうまく、飛行機の設計図など描かせたら本当に緻密な作品を創り上げそうだった。

その一方で、子どものようなところがある人で、リクルート事件の頃、ほとんど毎朝、吉永家で朝食を振舞ってもらっていたのだが、ある日、時鮭が出て食べていると、これが実に美味い。あんまり私が「美味い、美味い」というものだから、奥さんが「Sちゃん(一人息子)のも食べていいわよ」と奥から持ってきた。すると「俺のは?」と吉永さんが訊く。奥さんが「もうないわよ」というと、「じゃ」と私の皿の上にある鮭をいきなり半分こして食べ出したのには驚いた、というより笑ってしまった。「ああいうところが、私は好きだったんだな」と在りし日を想い出す。

奥さんとの馴れ初めは実にドラマチックで、かつロマンチックだった。いずれ『特捜検事〜吉永祐介とその時代』を書きたいと思っているので、そのときに譲る。少し紹介すると、恋愛経験の少ないと云おうか、おそらくほとんどなかったと思われる吉永さんは、旧制高校時代風の恋をしていた。ヘルマン・ヘッセの『春の嵐』の新潮文庫とロマン・ローランの『魅せられたる魂』(1957年で単行本というと、当時なら新潮文学全集か?)の交換読書というのが、これまた吉永さんらしい馴れ初めだ。そんな思い出話に花を咲かせ、千駄ヶ谷を後にした。

A日新聞編集委員のM山治さんとは、午後3時の待ち合わせだったが、途中で「遅れるのでスタートを延期して欲しい」と電話を入れておいたので、午後3時45分からプレスセンターでインタビューの続きを受ける。12日は日通事件までだったが、13日はロッキード事件が中心だ。膨大な資料を持っているので、話が尽きない。M山さんも、かつて『昭和報道史−ロッキード事件』を夕刊に連載していたので、詳しい、詳しい。午後6時15分に終わり、帰路へ。次回は16日午後1時半から。

都営三田線の白金高輪で日吉行きに乗り換え、大倉山で降りる。先月22日に郷里の友人I林宏と飲んで以来、久しぶりに「ほうろく屋」に顔を出した。あの時から気になっているのだが、30代半ばと思しき女性がカウンターの中にいる。お客さんが多すぎて、誰なのか聞かずじまいで、前も「こんばんは」と挨拶した程度だ。

チャコちゃんが体調悪そう。「大丈夫?」と訊くと「先生といっしょよ」と云うから全身痛なのか。私より若いとはいえ、無理が効かない年齢になっているのだから、だんご3兄弟(マスター+F木+私)ともども気をつけなければ・・・。帰りに大きな、本当に大きな瓶に入れたマスター自家製の梅干しをもらう。電車の中でみんなの目が、梅干しに集中するのが可笑しかった。

帰ってから前日の残りの鰹のタタキとゴーヤチャンプル、水茄子をつまみに一杯やる。娘と家人は今日から大阪に泊まりがけで、「関西ジャニーズ」のコンサート・ツアーに出かけていて留守だ。娘がきのう一所懸命勉強していたのは、このためだったのかと納得。そりゃがんばってやるわなぁ。家人の凄いのは、いつも自分たちの行動は直前まで言わない。こちらとしては、前日に言われて「ジェジェジェ」と言いたいところだが、いまや慣れっこだ。

以前、小田和正の野外コンサートに沖縄に出かけた時も、まったく知らず、最近見かけないな?と思っていたら、出かけていた。それも知ったのは随分後のことだ。家人だけなら私も関心を示さないと思っているのだろう、だが今回は娘も連れているからか、事前にことわって出かけた。ひとりで飲みながら、ニュースを見たが、N協会の「ニュースウオッチ9」にしては、珍しく沖縄問題に深く斬り込んで、シビアーに伝えているではないか。O越君の受けのコメントも中々好い。ガンバレ!! (8月14日)