もう2週間以上も咳をしている。鼻水が止まらない。先週は38度9分まで熱が上がった。とにかく絶不調なのだ。なのに『S版ニュース』から「弓立社を継承して」という6600字の原稿を頼まれたて、引き受けてしまったのが28日のことだ。8日の締め切りなら、それまでに風邪も治って楽勝と思ったのが浅はかだった。

30日に吉永さんのお宅にお邪魔した後、W稲田で授業したときには、悪寒がすごく、それでも歯を食いしばって授業を終えた。ここの授業は最高に楽しいから、きつくても、まぁそれなりに満たされる。帰りは妙蓮寺からタクシーにした。とても歩いて帰れる体調じゃない。この日から今日まで連日タクシーだ。翌日はゼミがあり、這うようにして出かけた。今年のゼミ生は、優秀な学生が多くて授業が楽だ。鼻の穴に指を突っ込んでいるような奴は一人もいないので、ゼミがスムーズにいく。お陰で身体はきつかったが、どうにか授業は終えられた。

実は、赤坂の「もも」の和枝さんが、先月車にはねられて入院、少し回復したようだが、まだ病院通い。店を閉め切っているのも寂しいと、常連のS雲ちゃんたちが、この日1日だけ「すもも」という名前で店を開くというので、先週から楽しみにしていた。だが、咳をごほん、ごほん云わせる客がいたら、かえって他の人に迷惑だろうと、失礼した。面白そうな集まりにも参加できないほど調子が悪い。

水曜日は唯一休みらしい休みなので、病院で新しい薬もらって飲んだが、熱は上がるばかり。こうなると本を読むどころか、トイレに行く以外は、ただひたすら眠るばかり。家人が『週刊文春』を持って帰ってくれた。私が「THIS WEEK」に書いた吉永さんんを悼む記事が掲載されている。

木曜日の朝は、1時限が「ジャーナリズム論」の授業で、準備らしい準備はできないが、「ペンタゴンペーパーズ」の所なので、難なくこなす。午後の大学院は、I田君という熱心で、普段からなかなか冴えた発言をする院生の発表だったので助かった。

鼻をかんだら鼻血がでて、しょうがないからずーと左の鼻の穴にティシュを刺していた。すると事務のH野さんから、「私も長くこの学校に勤めてますけど、これほど面白い先生に会ったのは初めてです」と笑われた。帰ると熱は38度7分と少し下がったがふらふら。もともと私の平熱は35度3分か5分なので、辛い。薬の効きが悪いのは、糖尿病のせいだ。

金曜日、もうほとんど声が出ない。「現代国内情勢」の授業では、吉永さんの死とロッキード事件や戦後自民党政治について講義をし、午後からの「メディア論」では、「椿発言」と「戦時性暴力」というテレビへの政治介入について映像を見せて話をした。

今年は「テレビ60年」ということで、特別のカリキュラムを組んで秘蔵のN協会、民放のドキュメンタリーや映像を積極的に見せている。「一生見られない番組だからね」と何度も言い聞かせるのだが、8割は眠っているか、パソコンで遊んでいる。あの授業中にパソコンで遊んでいる学生は、なぜ授業を受けにきているかよく解らない。悲しい。

どうにか一週間を乗り切った。ふらつきながら帰宅して、とにかく風呂に入ってひたすら眠った。土曜日の朝、体温は36度8分まで下がっていた。このところ毎晩氷嚢を使っているのが好いようだ。食欲はない。弓立社の大スポンサーのYさんから届いたお中元が「大門素麺」。あの麺がどこまでも長く、切れていない砺波名物だ。これを食べたら元気が出た。

いかん、6600字の原稿があった。まぁ眠ることだと、素麺を食ったらまた眠った。枕元に置いてあるハイエクの『隷従への道』(東京創元社)は、ずーと40ページくらいのところで止まったままだ。来週木曜日が締め切りだが、本を読む気力がない。

日曜日、T京新聞のM串栄一さんの「がんと暮らす」の連載が終わった。Mさんのこの10年間の苦痛に比べれば、この程度の風邪で苦しんでは申し訳ないと思い直す。Mさんに「連載が終わっておめでとう」と電話する。この連載に加筆してもらい、弓立社から1冊として出版する約束になっている。同じ日の「新聞を読んで」は、Fちゃんが書いていた。やっぱり私と違って、格調高い。昔から文章でも敵わないなぁと思っている。

S版ニュース社の原稿に取りかかる。朝9時からスタートして、夕方4時まで書く。咳が止まらない。2時間ほど昼寝をして、夕食後9時前から午前1時半過ぎまで、再び書く。まだ咳とタンに悩まされる。朝7時半のBSで「あまちゃん」を見た後、9時半過ぎまで一気に続きを書く。推敲する間もないまま、締め切りに間に合った。定刻主義者の面目躍如かな。まだ全然咳も鼻水もタンも治まらない。(7月9日)