7月1日月曜日は、午後の「情報発信入門」の授業が終わるとすぐに吉永さんの千駄ヶ谷の自宅に向かった。東急のれん街の「とらや」で羊羹詰め合わせを買う。吉永夫人は裏千家の大家なので、この手のものはお茶会の時によく使うはずだ。地上に出て山手線に乗り込むと、上野駅でトラブルがあったとかでストップ。それでなくても、約束の3時半をはるかに過ぎているのに、参った参った。奥さんからは、「忙しいんだから、時間通りでなくていいわよ」と言われている。結局電車を降りて、クシーで鳩森神社を経て、代々木病院脇の道を入って、マンションに着いた。

ところが部屋の番号をインターホンで押しても無反応。あれ、急な用事で出かけたか?と思っていると、ドアが開いて、「いまI黒さんの奥さんがいらっしゃるので迎えに行くから」という。私も一緒に出かけたが、もし行き違いになっていたらまずいので、私だけマンションに戻ることにした。10分ほど待っていると、二人仲良く話をしながら戻ってきた。

4階の部屋には、胡蝶蘭がいっぱい。28日のニュースを見て、顧問先や検察関係者が送ってきたのだろう。話していても、しばしば電話がかかる。顧問先の役員が来たいらしいのだが、「みなさん、お断りしているんですよ」と丁寧に対応している。

I黒さんのご主人久啅(口偏ではなく日偏—マックは文字がないし、作れないー私が出来ないだけかも)さんは、ロッキード事件で1976年7月27日に田中角栄を逮捕する際、事情聴取した検事だ。『ロッキード秘録』(坂上遼・講談社2007)を書いた際、新横浜のプリンスホテルの中の喫茶店で取材させてもらった。

「吉永さんから聞いています。もう歴史の話だから、話してやってくれって・・・」と普段笑わないI黒さんが、笑いながら取材に応じてくれた。I黒さんは、「私の取り調べは、淡々としたもので、向こうは最初から話す気はないし、とにかく暑いですねを連発したのと、『扇子使っていいかね』と例のだみ声で尋ねられて、思わずどうぞどうぞと言ってしまった」というような話だった。

奥さんはとても愉快な人で、「あの調子でしょう。面白くも何とも無い人で、一緒に暮らしていて、本当につまんなかったわ」とのろけていたが、「ロッキードをやったということが、自分の存在証明のような人だったわ。そうでなかったら、事件を処理するだけで、ムツっとして、つまんない人生だったと思うわ」と笑わせる。吉永さんも「そうよ、ウチだってそうよ」と応じる。

「検事総長になったのだって、金丸事件があったからよ」というから、「昔、広島高検時代に私がヒマラヤに取材に行って、エベレストの山中にあった祠のようなところで買ってきた『マニ車』覚えてますか。これを回しながら『総長になる、総長になる』と唱えたら、願いが叶うって云うやつ・・・」と尋ねたら、「覚えてるわよ。何処へやったかしら、最近見ないわね」という。

「吉永さんに、これは一人ひとつしか買えないんですよ。私が二つ買おうとしたら、通訳に『ご利益がなくなるから一人ひとつ』と窘められたと話したら、『そうか』というだけだから、『吉永さんは検事総長になれるけど、私はなれる訳じゃないから、吉永さんに買って来たんですよ』と恩着せがましく言ったんだけれど、あっさり『そりゃそうだ。ありがとう』と言われただけなんですよ」と語ると、またまた二人は爆笑。

「でもすぐに『総長になる、総長になる』って演って見せてくれたのには、笑いましたね」と私。「そうよ、やっていたわよ。総長になるまでは熱心に使っていたのに、(総長に)なったら使わなくって・・・。だから(病気になって)ダメなのね。どこへやったかしら、探したらきっとあるわよ」とまた笑う。

隣でI黒夫人が、「そういう子供じみたところが、吉永さんにはあったから好いわよね。うちのはダメよ、難しい顔ばかり」とまた繰り返す。「そんなことはないですよ。一番弟子のI十嵐(紀男=金丸逮捕のときの特捜部長、H海道大学の後輩)さんと飲むときは、随分愉しそうですよ」と合いを入れる。こうした思い出話をしているうちに、午後5時20分、あわてて「これからW稲田で授業なんですよ」と断って御暇した。面白かったけれど、風邪がキツイ。大学院の授業で声が出るだろうか?と思いつつ千駄ヶ谷駅に向かった。(7月3日)